もうすぐ2月でニトは6年目、
前のサロンからすると8年目を迎えます。
今のサロンがはじまったと同時にコロナが始まり、
大きく宣伝せずにやってきたので、
こうやって細く続けられてきたのも、
ニトに来てくださった方々や仲間との交流があってこそです。
本当にいつもありがとうございます。
いつもこの時期になるとこれまでの御礼に何かできればと思うのですが、
考えるのがいつもギリギリになってしまいます。
2月にお越しくださった方にはささやかなプレゼントをご用意したいと思っています。
これからも一期一会のセッションを日々大事にしたいと思います。
そして、この6年目のセッションは
「あわいの時間」という新たなテーマが降りてきました。
「あわい」とは間という意味。
人と人の間とか物と物の間とか。。
わたしはこの「あわい」という古語に惹かれました。
建築でいうと「あわい」は縁側で、
(うち)と(そと)の間を意味するそうです。
私自身、ひょっとしたらいろんな意味で「あわい」の次元を
セッションや自分の生き方を通してた探求しているのではないかと。。
世界はあらゆるものが二つの間で揺れ動いているように見えます。
そして、その分離が一見大きくなっているようにも思えます。
自己と他者
現実と理想
自我と真我
個人と社会
陰と陽
善と悪
それは自然の法則として、どんなものにも当てはまり
人間として当たり前の認識なのですが、
根源的には
私たちの本来の生命はその全部を内包しているのではないかと思います。
人間の思考や意識は巨大化して、他者との関係性だけでなく、自分自身の内側こそ、身体と精神、思考、自我と全体
など分離しているような感覚があるのではないでしょうか。
でも、ずっと前から直感的には生命というのはどんなものも
自然と同じく統合された存在だとわかっているのです。
私は無意識のうちに長い間かけて、この分離感覚に向き合ってきたように思います。
特にからだと意識のつながり、そして
自分でありながら、ほとんど自分でコントロールできない「からだ」に触れることに
自然と惹かれていったのだと思います。
からだは自分自身でありながら、
大いなる自然でもある。
自我と自然や大いなる存在の「あわい」にあるのが「からだ」であるというのは
能楽師の安田登さんの「あわいの力」という本から学んだことです。
いろんなことが腑に落ちたような気がしました。
「からだ」の感覚に気づきを持つことは
まず自我意識が薄れてくる。。
それはスポーツやトレーニングとしての
からだとの付き合い方とまた違って、
今、すでに起きている生命の働きそのものを
ゆっくり繊細に感じることで、
自然としての「からだ」とつながる回路が開かれてくる。
そして、そのときがまさに「あわい」の瞬間にいるのではないかと。
エサレンで大事にする「いまここ」~プレゼンス~と
同じ状態のことではないかと思います。
意識と無意識のあいだでニュートラルな場所。
いうなればゼロポイントのような場所で、
空のようで、全部がある。
そこからエネルギーが生み出される場所。
それが「あわい」のからだで 感じられて、
リアルに体験できるのではないかと思います。
私自身も身を持って、探求してきたなかでだんだんと実感できるようになってきました。
人間なのでお天気のように日々心もからだも
いろんな影響を受けて変化していきます。
それも本当であって、
それも全部ひっくるめてありのまま感じることで
また、「あわい」に戻ってくる。
そして自然にそこから起こるべきことが
起こってくる。
その繰り返しをしながらでも、
少しづつ、確実に、
からだとの繋がりを「あわい・いまここ」を感じることで、
生命の根っこは深くなってくる。
どんな状態でも今この瞬間に
生命として存在している
それ以上にすごいことも奇跡も
ないのだと思う。
ああ、なんだか長くなってしまった。
最後まで目を通していただき、ありがとうございました。
